監督・加藤 鉄 プロフィール

1951年生まれ。 学生時代より映画を作り始め、初監督作は8mmのPFF入選作品『愛していると言ってくれ』(1980)。16mm作品となった『寓話・伝令』(1983)では、オーストリア・ブルーデンツ国際映画祭監督賞受賞。その後、『グッドバイ』(1989)では脚本も担当し、ATG映画脚本奨励賞を受賞。『ただひとたびの人』(1993)ではトリノ国際映画祭審査員特別賞を受賞した。

2002年には青森県六ケ所村の核燃料施設建設にたった一人で反対する老人を描いた初のドキュメンタリー映画『田神有楽』を発表、六ヶ所問題を描いた作品として話題となった。今回の『フクシマからの風 第一章 喪失あるいは螢』が監督6作目。
※なお、劇映画作品については「加藤 哲」の名前で発表している。

監督のことば

  1995年から4年間、私は青森県六ヶ所村に通い、核燃料の巨大施設に対峙しつづけて一軒、土地を売らず、稲を守り育てていた小泉金吾さんの記録映画「田神有楽」を完成させました。その野武士のような生き方に魅せられて、私も隣の町に移り住み、畑づくりの生活にひとりで飛びこみました。泥と汗にまみれた月日は速く、小泉さんも今は亡くなり、そして3.11の原発事故。
  事故から1カ月半たって、飯館村~南相馬~川内村へ3日間の視察撮影に同行し、その後私にカメラとビデオテープが提供されました。
  それにしても、その3日間に出会った村の人たちのなんと魅力的だったことか。……。結局、私はその人たちに呼ばれたのだと今では思うようになりました。
  この作品は、私がこれまでの人生から共感し共鳴したいと思う人たちを撮影したものにちがいないのですが、自分にとっても、不思議な様々な出会いにより、奇跡のようにできあがった作品なのです。

 

追想

小泉金吾さんが亡くなったのは20107月のことである。その最期の日々を、金吾さんは認知症となって、小川原湖半の介護施設で穏やかに送った(享年82歳)。亡くなる2年程前から入退院を繰り返すようになっていたので、ベッドに横たわり恥らうような笑顔を浮かべる金吾さんを、私はいつからか抵抗なく受け入れるようになっていた。かつての誰もが知る険しく厳しい激情家だった金吾さんからは想像もできない変わり様だった。その死も、翌日の朝になって看護婦が見回りのときに気づいたというくらい安らかなものだった様だ。

今、何より金吾さんと出会えて貴重だったと思うのは、フィルムに撮影したりテープに記録したりという一連の仕事を終えた後も、友人として無為の時間を長く一緒に過ごせたことである。そして、それ以上に感謝しなければならないのは、死を前にした最期の姿を私の脳裏に刻み付けてくれたことだ。その小さくも輝ける人の一生というものを、まざまざと見せ切ってくれたことだ。

車椅子で施設の廊下を移動するときの、背筋を伸ばして前方を見据えたまま身じろぎもしない野武士のような金吾さんの姿を、私は忘れない。

地位も名誉も肩書も欲しがらず、無名のままに、かけがえのない自分の生を堂々と生き切った人。

311以後のあまりの恐慌のなかで、ともすれば金吾さんを忘れていることがある。今、金吾さんみたいな人こそ思い返す必要があるのかもしれないと反省しつつ、もう少し書き綴ってみる。

ある時から金吾さんは、運動の前線へ出向くことをしなくなった。どんなに要請されても、せいぜい家から50メートル程離れた泉田神社の境内へ行って、そこに集まった人々に近況などを語るくらいだった。根を張り、家庭と土地をしっかりと守っていく、その地固めをしているのかとも思えた。かつて人一倍饒舌家だった金吾さんが、次の次の世代まで見通して、言葉少なに、その背中を家族も含めて見せている。それは知謀家・金吾さんの最後の戦略だったのかもしれない。

「ここでヘタに動くと、足を掬われることになるんですよ」。その言葉を耳にした時、私は、一人闘いの日々を送る金吾さんの、余人に伺い知られぬ細心の注意と緊張をかいま見る気がしたものだ。

そして、金吾さんは巨大な力に対峙しつづけて屈することなく、最後まで、否、未来にまで、その砦を守り抜いたのである。田も畑も売られることなく、息子さんたちも昔のままに生活を続けている。墓地も溜池も神社もそのままだ。

毎年610日に六ヶ所村・新納屋(小泉さん一軒の集落)で、ささやかに和やかに開かれる”泉田神社の祭り”の集いこそ、金吾さんにふさわしい野辺送りだと思う。何より話好きだった金吾さんだから、これからも、そこに誰彼となく客人が寄って、にぎやかな笑い声でも漏れ聞こえたりすれば、つい舞い降りて来て、神楽を照れながら踊ってくれるかもしれない。

それは、いつまでも、無反省に核燃料再処理基地稼動に突き進もうとする者たちにとって、やはり喉に刺さったトゲ、あるいは躓きの石でありつづけることだろう。

私たちとしても、小泉金吾さんに限らず、かつて「七人の侍」などと呼ばれたりした、寺下力三郎さん、坂井留吉さん、安田光空昭さん、中村福治さん他、長老たちの立ち姿を、これから先、何度も想い起こし、自分の姿勢を問い糺す必要があるだろう。

それにしても、長老たちはなんとカッコ良かったことか。皆、なんと気概と気品に満ちていたことだろう。

2012226 加藤 鉄 記)